自己紹介:高森

高森(Takamori)| Takamo-log

1994年、東京都生まれ。
2019年より現在に至るまで大手メーカーで勤務。
2022年よりWebサイト「たかもろぐ」およびYouTube「高森」を運営。

執筆来歴内容
2022/06/30新規執筆 はじめに~小学生時代まで
2022/07/06中学生時代を加筆
2022/08/10高校生時代を加筆
2022/11/4自宅浪人時代を加筆
2022/12/16大学・大学院時代を加筆
2023/8/26YouTubeの動画投稿状況にあわせ各部を修正
本記事の来歴

はじめに

そういえば、自己紹介の類の記事を残していなかったことに、つい先ほど気が付きました。

以下に、高森についての大枠の部分について、記しておきます。

具体的な経験記憶については別途文章を書いていこうと思っています。

名前は高森(タカモリ)です。

経歴としては、東京理科大学大学院卒某メーカー研究開発職として勤務中のサラリーマンです。

以下では人生の各ライフステージに分けて軽く自分を振り返っていこうと思います。

~小学生時代

幼少期から非常に身体が弱く体格も華奢だったので、幼稚園の頃は体が大きめの子にいじめられ、幼稚園の先生に泣きついているような毎日でした。

幸い愛嬌はあったのか幼稚園の先生には気に入られており、なんとか幼稚園という環境における自身の居場所は見つけられていたと記憶しています。

ただし幼いなりにも幼いなりのストレスは抱えこんでいたようで、身体症状として「嘔吐癖」、慢性的な「頭痛」を抱えており、前触れもなく嘔吐したり、日常的に頭痛を抱え寝込んだりしてました。

また、後にも触れていきますが、「感覚過敏」であったため、衣類のタグが振れる首の後ろや腰の部分などには常に蕁麻疹が生じており、ムヒを常備していました。

「ストレス」が主要因だったので
ムヒではあんまり効果なかったんですけどね…

当時のぼくを両親がどういう目線で見ていたのかは定かではありませんが、父としては情けない男だなと見られていたのではないか、と推察しています。

父親は理想像として「男らしくある」ことを要件として掲げており、それは要素に分解すると、「身体が大きい」とか「堂々としている」とか「頭がいい」「お金を稼げる」といったことであることが彼の姿勢から窺えます。

彼のそういった姿勢は、幼き頃のぼくに対し「これノルマね」と言って、「大食いをする」「高い運動能力を発揮する」ことを強いてきた事実からも感じられました。

自分の能力が父の要求する「ノルマ」に未達であることは、子供心ながら自分自身に「無能者の烙印」を押すには十分すぎる出来事であり、この時期からも自分自身に対する一種の「諦め」の心が芽生えはじめていたかもしれません。

とは言え基本的には「明るく」「元気な」性格を有していたぼくは、小学生時代はたくさんの友達に囲まれて多くの時間を過ごしました。

上記したように、要所要所で「身体症状の不調」はありましたが、深く思い悩むこともなく、中学生まで駆け抜けました。

中学生時代

そんな感じで小学生時代を過ごし、父の意向もあり父の出身中学に進学しました。

実家から徒歩圏内の公立中学であり、卒業した小学校から進学する人と、他の学区から進学してきた人が半々といったような環境でした。

そんな環境で迎えた中学生活ですが、小学生時代の友達に囲まれていたぼくとは異なり、どうにも「人見知り」を発動し、多くの人に囲まれるような生活は送っていなかったと記憶しています。

クラスの中でも「おとなしい人」といった扱いで、友達もあまり作れず浮いた熱量を「二次元」に費やした結果、「オタク」キャラを確立し、クラスでも「よくわからない人」といったポジションを取っていました。

卒業アルバムでは、ミステリアスな人ランキングにランクイン

幸いにも勉強はできたのでなんとかクラス内での存在は許されていたような気がしますが、言ってしまえば「勉強できるキモオタ」みたいな立ち位置で、青春の始まり?といったような中学生時代は経験できなかったです。

YouTube『悪夢がつらすぎる…』

また、部活はなんとなく「軟式テニス部」に所属していました。

走り込みなどといった基礎的なトレーニングも含めて体を動かす生活が多かったので、小学生時代にみられたような貧弱さはある程度軽減されました。

バス乗ったら酔う、とかも改善された

インターネットでの活動を始めたのもおおむねこの頃であったと記憶しています。

小学生時代から「おもしろフラッシュ」とか「謎のチャットサイト」みたいなのを利用したりしていたのですが、この時期は何を思ったのか自分でWebサイトを立ち上げてみたり、初期のTwitterに入れ込んだりといった状態でした。

当時からせかせかと取り組んでいたのが「ブログ」で、確かFC2かなんかのサービスを利用してブログを開設し、リテラシーも何もなく、学校で感じた不満とかを開けっ広げに発信していました(黒歴史)。

どこでどうバレたのかは定かではありませんが、ブログでクラスの気に食わない女子に対する愚痴を書いた翌日、その女子と仲のいいマイルドなヤンキーに「お前だろ?あのサイト?」と首を絞められながら言われたのも良い記憶です。

インターネットで痛い目を見ていかないと
そのへんのリテラシーは見につかないんよなあ

それらのWebサイト他は既に消してしまいましたが、あったらあったで困るのでよしとしましょう。

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この時期からも「その日暮らし」「刹那主義」といったような性質は若干有していて、突発的に部活や学校をサボってみたり、目の前にある課題から逃げる癖もあったように記憶しています。

勉強についてはまあまあできたのですが、都内の進学校に進学して能力のない自分を認識するのが嫌だったのか、100%合格できるような学力水準の高校に進学しました。

塾にも通っていて、模試の結果から最上位のクラスに入るように講師陣に言われていたのですが、上述した理由から常に上から二番目のクラスに留まる、という選択を続けていました(ダサいオタク)

受験結果としては偏差値の高い私立みたいなところにも合格自体はしていたのですが、上記した自分が無能であることに向き合いたくない、高い学費による親に対する負い目など色々抱え込み、無難な公立を選択しました。

親族も中卒や高卒が多く、そもそも受験という制度自体がよくわかっていなかったようなので、大きく反対されることはありませんでした。

「うちはお金がない」はよく聞かされていましたし
公立はカネがかからなくていいな!という雰囲気でした

今思えばシンプルに進学校を選んでおけばよかったのかなと思わなくもないですが、まあのちに述べる自由な高校の風土に救われたところはあったかもしれません。

ぼくが高校生の時期から顕在化することとなりますが、この頃に父の単身赴任が決まり、父方の祖父母と母・ぼく・妹で一戸建てに暮らす環境にシフトしました。

高校生時代

チャリで通える地元のゆるい公立に進学したぼくですが、高校時代は本当にひとりで過ごすことが多かったです。

多かったというかほとんどひとりで、クラスでは「話しかけない方がいい」「ロボットみたい」「なにを考えているかわからない」そんな存在であったのではないかと思います。

休憩時間も寝てるかラノベ読むかだった

そんなぼくを見かねた担任の教師はたまにぼくを職員室に呼び出し、「学校は楽しい?」といった切り口でぼくがなにを考えているのかを聞き込んできました。

当時のぼくは本当に視野が狭く人付き合いもどへたであったので、「まあ適当っすね(?)」というよくわからない応答をして、教師の悩み事を増やしていたような気がします。

勉強面も本当にムラがあり、気が向けば勉強し学年トップを取り、と思えば後述するバイトとオンラインゲームの反動で試験中寝てしまい学年最底辺の成績を取るなど、意味の分からない学生でした。

そんなわけで上記した「学生生活」という観点での呼び出しの他、「成績」といった観点での呼び出しもちょこちょことありました。

話の内容は「真面目にやれ」とか「国立を目指せ」とかそんな感じだったと記憶しています。
教師は教師でぼくをうまく誘導し、国立に進学させるという実績を作りたかったのかなと思います。

学校で馴染めなかったぼくが持てあました若いエネルギーをどこに時間を費やすことになったかというと、中学生の時に面白さを見出した「インターネット」なわけです。

当時は2022年の現在ほど「オタク」を公にすることは許されないような空気感があり、「オタク気質」であったぼくが「インターネット」に浸かることになるのは必然でした。

インターネットで何をやっていたか?」と問われると難しいところですが、2chに入り浸ったり、Twitterアニメの実況TimeLineを構築しワイワイしたり、上述したオンラインゲームに勤しんだり、であったと記憶しています。

高校には居場所がなかったことと、当時のぼくは特撮やベイブレードにハマっていたこともあり、外で近隣の小学生たちとベイブレードをして遊んだり、チープなCGソフトを使って「変身してみた」動画を量産したりしていました。

作品した動画や記録が残っていれば公開したかったものですが、後述する大学時に顕在化した「リセット癖」によりこのあたりの記録は有形・無形問わずだいたいを消してしまったので、今は手元にありません。

見返したかったものだ

スーパーマーケットアルバイトもしていて、週4~5で18:00~21:00?くらいの勤務形態で金を稼ぎ、稼いだ金を↑の活動につぎ込んでいました。

時は経ち、高校三年生になったぼくはゆるやかに受験勉強を始めました。

特に目指したい大学であったり、ましてや「なりたい将来像」みたいなものも有していなかったので、都内の適当な大学に進学できればいいか、という思いから、自分の学力でいけそうな大学を志望大学と置くこととしました。

親族は大体が中卒か高卒であるため、「大学進学とは?」という雰囲気であり、身内に相談できる人はいない、高校にも居場所がないので、インターネットから適当に情報を仕入れ、受験勉強に勤しむことになります。

当時から「人に悩んでいるということを素直に打ち明けられない」癖があったので、何事もひとりで抱え込みながら勉強を続けていたのですが、どうにもその状況がストレスだったのか、冬の受験日間際に体調を崩していきます。

具体的には慢性的な緊張性頭痛に加え、片頭痛の頻発、吐血といった身体の不良がありました。

受験日当日にもそれを引きずることとなり、慶〇の試験中に片頭痛を発症、吐き気を催し、試験を中断して歩道で嘔吐、そのままタクシーで自宅に搬送されたのはいい思い出です。

当然受験には落ちた
当時の学生スタッフさん、ご迷惑をお掛けしました

YouTube『大学受験で全落ちした話』

受験が終わったときにぼくを待っていたのは「大学受験全落ち」という結果でした。

今でもよく思い出すのが、卒業式の日、進路が決まったクラスメイトの大学生活に対する高揚感を感じながら、「自分は何物にもなれなかった」という無力感と、担任の先生の「高森くんはこれから良いことあるから」となんの慰めにもならない言葉です。

当時のぼくは心身ともに疲れ切っており、相変わらず高校には居場所がなく、ただ茫然と卒業式を後にしました。

自宅浪人時代

体調不良や学力不足を理由としてはじまった無職期間

映画を見ることが好きでしたが、映画館にいくと「一般」の枠でチケットを購入しなければならず、「なんだかなあ」と思っていたことをよく記憶しています。

進路はどうしようかと思いを巡らせることもなく、とにかく「普通になりたい」という思いに駆られたのか、浪人からの大学進学を目指すことを決めました。

まじで落ちこぼれたなあと感じていた

ちなみに学力は志望校としていた東工大、早慶は某模試でA判定の実力ではあったのですが、いかんせん本番に弱いことと、あくまで模試という点で参考情報としてください。

とりあえずの1年間の浪人生活のスタート。

勉強しっぱなしでメリハリが効かなくなるのはよくないかなと思い、地元の料亭みたいなところにバイトの面接を申し込みましたが、「いつでも入れます!」とアピールしたにも関わらず面接に落ち、「社会に適応するのは難しそうだなあ」などと呑気に構えていた記憶があります。

自宅浪人自体は本当にあまり記憶がなく、朝起きて、適当に机に向かって、寝るを繰り返していたら1年が終わっていました。

浪人無双もあり、模試で高偏差値を取ってみたり、迷走して一日中勉強せずふらふらしていたりした時期がありましたが、結果は現役時と変わらず第一志望の東工大は落ち、早稲田、理科大ほか(中央大とか芝浦工大とかだった気がするがあまり覚えていない)に合格しました。

そんなわけで「早稲田」か「理科大」か?という進路上の悩みを抱えることになるのですが、早稲田はなんか「ウェイ!w」で馴染めなさそうだなと率直に思ったのと、理科大に行きたい研究室があったので、理科大の機械工学科に進学することとしました。

YouTube『早稲田受かって理科大に進学した話(大学受験)』

親戚には腫れ物扱いされた時期でしたが、人生において「何物でもない」時間を過ごせたのは意義があったかなと思います。

大学~大学院生時代

さて、自宅浪人自体を経て「東京理科大学 工学部 機械工学科」に進学します。

結論から行くと今の自分を形成するに重要な出来事や学びが、この学生時代にあったので進路選択含めて良い6年間であったと思います。

学部1~3年は理科大のカリキュラムをこなしつつ、スーパーマーケットでバイトしつつ、好き勝手に過ごしていたのであまり特筆するべきことがありません。

引き続き人づきあいが苦手な部分は変わっておらず、サークルなどには所属せずに自分の趣味に時間を費やすことが多かったです。

YouTube『東京理科大学の特徴をまとめてみた』

私の恩師がよく言っていましたが「理系大学の価値の9割は研究生活にある」の通り、特に学部4年からの「研究生活」において、例えば今仕事で活きている実務能力の素地だったりが身につきました。

研究室では恩師をはじめいろんな人に面倒を見てもらいながら、「研究とはどういうことか」「科学的とはどういうことか」という大きな問いに対する自分なりの回答が得られたり、国内外含めて学会に参加してプレゼンテーション能力コミュニケーション能力を育むなりといった経験を得ました。

一方で、研究室という「クローズなコミュニティ」において人間関係が重要であることは言うまでもなく、人付き合いが苦手な自分は「研究」「成果を出す」「人と良好に付き合う」といったことの板挟みになり、精神的に滅入ってしまう時期もありました。

メンタルは壊さないに限るね

YouTube『理科大はぼっちで卒業可能化という話』

今は回復したものの、一回メンタルのバランスを壊した人間は良くも悪くも「普通とはずれてくる」ような感覚があり、それは例えば「人の気持ちが見える」「メタ認知能力が上がる」といったメリットがある一方で、「唐突な虚無感に襲われる」といったデメリットもあるように感じます。

ごまかしつつも修士号を取得しましたが、当時の研究室の同期ほか、周囲の方々には迷惑をかけてしまったなという後悔があります。この場を借りて謝罪の念を記載しておきたいと思います。

そんな浮かない気分のまま、某会社で社会人生活を始めることになります。

YouTube『友達がいなくなった理由と人生しょうもないと感じるワケ』

社会人時代

社会人になり、「10年遅れ」くらいで人並みの生活を歩めるようになってきたかなあと思います。

また、上記した大学時代までに自身を苦しめていた自身の性質に対する理解が深まり、俯瞰して自分を解釈できるようになりました。

それにより大学時代の不安定性はだいぶマシになり、安定して人生を歩めるようになったと自負しています。

苦労の多い人生だったように思いますが、ようやくここから自分の人生を豊かにしていくのだと、自分自身が実現したい生活のために着実に一歩ずつ歩んでいこうと心に決めました。

グチャグチャ書いてんじゃね~~コンニャロ~~~

めんどくせえ!!!毎日楽しければええねん!(そのうち真面目に書きます&YouTubeの方を見ていただけると幸いです)

YouTube『大企業で同期の友達ができなかった社会人の末路』

社会人5年目になり、「現状のキャリアの地続きでいいのか?」と悶々とした思いを抱え、転職活動に着手する。

主な転職検討理由
  • 製造業という業態自体がライフプランを無視した人事をすることがあり不安だったから
  • 特定の領域に紐づいたスキルは受けが弱く、上流で通用するスキルを身に着けたかったから
  • 年収をもう少し高めて若いうちに純資産を形成、投資に回したかったから

結果として某戦略コンサルティングファームにオファーをいただくものの、辞退した。

ありがたかったが…

やはり「コンサル業界」は激務な傾向があり、過度なプレッシャーを感じる場面を想定すると、おそらく自分はまた体調を崩すのだろうなと思ってしまった。

キャリア的にはかなり勿体ない選択であることを受け止め、現職に留まる選択をした。

好きな言葉

本当の友人は付き合いの長さから生まれるのではなく、見えている世界の共通項から生まれる

Henry David Thoreau

The single biggest problem in communication is the illusion that it has taken place

George Bernard Shaw

Comment

コメント一覧 (12件)

  • 高森さんこんにちは。
    いつも動画を楽しく拝見しております。

    大企業から理科大というテーマ設定や高森さんの話すペースなどが気に入り、一年以上ファンとして応援しております。

    大企業テーマの動画も多いですが、高森さんのお勤めはどの規模の大企業なのでしょうか。
    大企業といっても売上高数千億円規模からシャープなどのような数兆円規模まで多く存在します。差し支えなければ、高森さんの動画にもっと共感するためにももう少し情報をいただけないでしょうか。

    私もいわゆる大企業務めであり、ずっと気になっていました。
    業界まではお聞きするつも2りはありません。
    よろしくお願いします。

    • コメントありがとうございます。
      おっしゃる通りで、一口に「大企業」と言っても様々ですね。
      定義的には中小企業基本法から外れれば「大企業」と言えますから…。

      さて、ご質問の件ですが、売り上げが兆を超える企業とご認識いただいてよいと思います。
      よろしくお願いいたします。

      • 大大企業ですね。
        ずっと気になっていたので聞けてよかったです。
        これからも動画楽しみにしています。

  • 高森さん
    お久しぶりです。先にGPAの件でご質問をさせていただきましたKNです。
    ご相談がありコメントを書きました。3年生になり、新たに別の研究室見学(理学部1部を含む)にいくつか伺い、第一希望の研究室が2つある状態です。正直どちらも興味があり本気でやりたい研究テーマで先生も良好な方なのですが、配属にあたり勉強すべきことや就職先も異なりどちらにしようか本気で悩んでいます。。残念ながらどちらの研究室も研究した分野がそのまま生かす職業に着くというのはない(理学部あるある?)とのことです。

    ①高森さんは希望研究室は第何希望までありましたか。また第1希望の研究室を決めた際のきっかけなどあれば教えていただけますか。(話せる範囲で)
    ②今回のような大事な場面でやりたいことを1つに選択しなきゃいけない際、高森さんならどういう考えで選択しますか。

    長文ごめんなさい。動画のリクエストになりますが、是非話してくださると幸いです。

    • KNさん

      お元気そうで何よりです。
      取り組みたい分野に目星が付いている点は素晴らしいなと感じます。
      近いうちに動画化したいと思います。取り急ぎご連絡まで。

      高森

      • 高森さん

        お返事遅れて申し訳ありません。
        動画視聴いたしました。私が行きたい研究室は先のGPAで質問した二部の研究室と理学部一部の研究室でどちらも一部及び二部内で人気が上位にある研究室です。どちらもいい意味で自由度はかなりあり放任的な雰囲気ではあります。お恥ずかしい話成績があまりよろしくなく、おそらく学部4年からではなく大学院に進学してからの2年間でどちらかの研究に浸かると思います。アドバイスいただきましたことを参考し進路選択をしていきたいと思います。(動画にて仰っていたとおり2人の研究室の先生にもご相談をしたいと考えております。)お忙しい中ありがとうございました。何か近況ありましたらご連絡いたします。

        KN

  • 高森さん
    いつも動画を拝見しております。
    質問がありコメントを書きました。私は現在理科大二部物理学科に所属している学生です。次年度3年生であり研究室配属を視野に入れてますが、去年私が行きたい研究室見学に行った際先生曰くGPAは2.5以下だと足切り(?)をくらい3以上ないと厳しいよと仰っていました。
    ①高森さんは研究室配属の際GPAどのくらいでしたか?うる覚えで構いません。
    ②学部や研究室によって異なると思いますが、GPAどのくらいあれば安心ですか?
    できれば動画にして話してくださると嬉しいです。よろしくお願いします。

    • 質問コーナーという体裁で動画で回答します!
      近日中にYouTubeに投稿しますのでしばしお待ちいただければと。

      • 高森さん
        長文になりますが、ご了承ください。
        YouTubeに動画で回答いただきありがとうございました。早速拝見させていただきました。
        私が希望する研究室は理論研究(特定防止のため研究内容は伏せます)をしており、年度によって異なりますが多くて8人、少なくて4〜5人しか取らない人気研究室です。
        先生がGPA3以上を望む理由は、研究をする上でちゃんと物理学という学問を分かっていないと研究を始めてから辛くなるとの理由があるそうです。ただ見学の際に配属の際に履修しとくべき授業・おすすめの本を教えていただきかつ先生との仲も良好です。また年度によっては2.5〜3の間の学生を配属した過去もあるので、なるべく3に近いGPAを取れるよう励んでいきたいと思います。
        動画内で仰っていたGPA分布は調べてみないとわかりませんが、GPAが高い二部の学生の中には少数ですが理学部一部の研究室や外部の研究室に行きたい人もいるので、それを希望する人が私の代に何人いるかも関わってくると思います。
        また近況・質問あればこちらのblogに書かせていただきたいと思います。高森さんも身体にご自愛をしてお仕事頑張ってください。

      • コメントどうもありがとうございます。
        分野は違えど、理科大の学びは糧となるものと感じていますので、勉学に励みながら希望の研究室配属を目指していく道が良いのかなと勝手ながら感じています。
        応援の言葉もありがとうございます。無理せず続けていきたいと思います。

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