6月もなかば、週次コラムです
- 淡々と働きつつ、出張したりとやることが多い日々が続く
- 今一度、自分の心の「リバランス」が必要なのかなと感じている
- 読んだ本は微妙だった、宇多田ヒカルさんを最近はよく聴いている
リバランス、「ワーク」と「ライフ」
社会人歴もなんだかんだ4年目ということで、表題の通り、「仕事」と「趣味」「私生活」といった区分け、いわゆる「ワークライフバランス」についてもなんとなく「こんなもんかな」といったバランス感覚が掴めてきたような、掴めてきていないような、そんな今日この頃。
大学の研究室にいた頃は、いわゆる「ワーク(=研究)」側にリソースを割きすぎて、体調を壊し(食欲不振、嘔吐癖、胃潰瘍)、メンタルも壊れ、良くも悪くもそれまでの自分とは異なる感覚を有するようになったという、一種の「パラダイムシフト」のような経験をした。
この経験のおかげである種「俯瞰的に」自分を捉えることができるようになったり、自分を「操る」というか、コントロールできるようになった点は大きいものの、なんだか「自分の好きなもの」という位置づけの対象がわからなくなってしまうという副作用もあった。
そんなわけで、自身の価値観それ自体もバグり、「なにかしら人の役に立たなければ…」といったスタート地点からあらゆる物事が出発するようになってしまう傾向にあり、「ワーク」と「ライフ」が同軸に位置するようになってしまい、「バランス」とは、という状態が昨今のぼくである。
理想論としては「ワークアズライフ」の考え方は賛成する立場をとっていて、それはシンプルに「仕事」も自身にポジティブな影響をもたらす、と解釈できたらいいよね、という考えからである。
「ワーク」と「ライフ」が同軸という自分の感じ方からすると、一見この「ワークアズライフ」と近い立ち位置にいるのでは?と思ったりすることもあるけれど、やっぱりどこか「歪んで」いると解釈していて、それはとどのつまり、まあどちらも「重要ではない」「意義を見いだせない」といった根本要因があるように感じる。
局所的に仕事が忙しくなろうが、ヒマになろうが、ぼくにとってはそれはどうでもよくて、「やることがあるからやる」程度の意味合いしか持てなくて、「ワーク」にしても「ライフ」にしても、それぞれにあんまり意義を見いだせておらず、一種「死に体」のような状況で人生をやっているのではないか、と。
やっぱり世の中を(といってもTwitterのようなSNSが主なので偏っている)眺めてみると、「ワークライフバランス」に重きを置く人が多いように見受ける。
それは大小関係は置いておくとして、「ワーク」と「ライフ」の重みづけがその人自身のなかで出来ているということを暗に示しているのではないかなと思い、それはそれで羨ましいなあと感じる。
「ワーク」と「ライフ」、どちらにしても「どうでもいいかな」と思ってしまう現状はやや味気がないので、心の「リバランス」を行って、双方に「自分はここかな」という位置づけを見出していければな、と思っています。
かつて好きだったものが、今は何も感じないというのは、虚しいですよね。
今週読んだ本
『社員が自ら考え、動く自走型組織の作り方』 森田満昭
組織論関係でぷらっと調べていたら、Amazonでリコメンドされていたので何も考えず購入。
Amazonのレビューはなかなか高かったが、自分としては微妙だった。
と言うのも本書がターゲットとする読者層に自分が含まれていない点が大きいのかなという印象で、自分が求めていたのが「メンバー」視点で積み重ねていく組織論に対し、本書は「経営者」側に向けて組織をデザインしていくような組織論が展開されていた。
かなり上位のマネジメントだとか、経営サイドに近い層には(本書の書き方というか、若手向きに書かれていない構成も含めて)いい本に位置づけられるやもしれない。
本書とは全く関係ないのだけど、どうも活字が多い(本だから当たり前)感じの構成になっていると、情報量が多すぎて頭で処理できない癖がある。
その場合は非常にゆっくり読んでいくか、そもそも読むのを諦めるか、どちらか二択を取ることが多いけど、本書はどちらかと言うと後者であった。
なので本書のエッセンスを汲み取れず、上のような感想に落ち着いている可能性が非常に高い。
組織論という観点でいくと、データもちょいちょい出しつつ、具体的な方法論とかを展開していた前回感想を書いた本の方がよかった。
今週の音楽
今週は宇多田ヒカルさんをとにかく聴き込んでいた。
Goodbye Happinessが良すぎるんですねえ…。
曲調や歌詞に感じられる一種の「虚無性」や「切なさ」のような要素がとても好きです。
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